『おれはぺい太』佐藤憲吉(ペーター佐藤)/75年、「ビックリハウス」10月号より
今回の研究でわかった事はなんでしょう。それはマンガが全然自由じゃない、という事です。
92年、「GOMES」10月号 特集「友よ、マンガの夜明けは近い。」より
かつて、手塚治虫がマンガとは何かを問うた時、「結論はまだない 漫画は、現在も、明日も、明後日も、分裂しては増殖しつつジワジワと変貌する」と答えを出さなかった(※1)。いや、出せなかったのだ。
しかし、89年の手塚の死から3年経た92年。「GOMES」10月号 特集「友よ、マンガの夜明けは近い。」で「GOMES」は、発行部数600万部を誇る「週刊少年ジャンプ」(集英社)や青年誌、レディースコミックなど当時人気のマンガを分析し、「そのほとんどはマーケティングで分析された読者の欲望を満たすだけ」と切り捨てた。「GOMES」の求めるマンガとは、かつて手塚が求めたマンガの理想と同じであった。
■「GOMES」がマンガ「以外」へ求めたもの
91年からはじまった「GOMES」のマンガ賞「GOMESマンガグランプリ」(通称「マングラ」)は、他のマンガ誌では評価されにくい新しいマンガを発見、評価することを目的にプロアマ、ヘタウマ問わず広く募集。歴代審査員には、原マスミ、岡崎京子、しりあがり寿、天久聖一といった「GOMES」の人気連載陣をはじめ吉本ばななも参加していた。
賞金はグランプリでも10万、審査委員賞が5万。グランプリを獲ったとしても単行本はおろか連載が約束されるわけではない。そのかわりどんな変わったマンガでも今までにない新しいマンガなら評価するという姿勢である。「ガロ」の原稿募集とさして変わらないが大きな違いは、「GOMES」の性質上、ギャグマンガを評価していたという点だろう。この「マングラ」出身のマンガ家には、河井克夫、うつろあきこ(※2)、グランプリを受賞した原平真貴雄(変名で活躍か?情報求む)、「マングラ」で吉本ばなな特別賞に輝いた辛酸なめ子(当時は池松江美)などがいる。その後、講談社の「Kiss」など女性誌へと活躍の場を移したうつろ、「ガロ」から「アックス」に移った河井、マンガ以外にも作家、コラムニストとしても有名な辛酸なめ子らの活躍はいうまでもない。
上)08年、河井克夫「出会いK」(青林工藝舎)
中)01年、うつろあきこ「ビューティー香取でお待ちしてます」(青林堂)
下)吉本ばなな賞に輝いた「先見ゼミ」収録。00年、 辛酸なめ子「ニガヨモギ」 (三才ブックス)
自分の作品にどれだけの愛情をどんなふうに注いだのか、をもう一度考えてみてください。
おもしろいアイディアを思いついた。でもそれを上手に表現できるテクニックがない。なら別の方法でこのアイディアをよりおもしろくみせる作戦はないか。
どんな工夫も愛情です。
どうしても伝えたいイメージがある。でも実際描いてみるとどうも違う。だから何回も何回も描いてみる。
そんな苦労もまた愛情です。
先ほどから何回も「愛情」なんてコトバを使って自分もなんだか照れ臭くなってきましたが、やはり自分が自分の作品と仲良くなるにはそうした工夫や苦労が、全てをひっくるめた「愛情」をいかにバランスよく注いでやるか、が大切なことだと思うのです。
95年2月号 「GOMES マンガグランプリ'95」 天久聖一選評より
「マングラ」で新人を発掘した一方、今あるマンガそのものをもっと豊かにしたいと模索していた「GOMES」。最終前号となる96年の1月号の「GOMES LOVES MANGA 1989~1996 ずっとマンガが好きだった。」というコラムでは『バカドリル』のような「マンガをベースにしてるけど、単なるマンガではなくて、もっと幅広い実験的なもの」を求めてきたと明かしている。また、岡崎京子や吉野朔実が連載していたイラストとコラムのページのようにマンガ家にマンガ「以外」へと飛躍していくことを願い「マンガをマンガの中に閉じ込めるな。これがゴメスの基本的な考えだったわけで、最後にわざわざこんな回顧をしたのは、読者のみなさんにも、マンガは暇潰しで読むものなんかではなく、ものすごくいろんな可能性を持ったメディアであることを、あらためて考えて欲しかったからなのだ」と熱く語っている。
マンガがマンガ「以外」へとジャンルを飛び出していくことの具体例として上げられるは、内田春菊の音楽活動、マンガ家としてデビューし、小説家に転向した山田双葉(詠美)などの本業であるマンガ「以外」での活躍である。そして何よりも「GOMES」を読むようなサブカルチャーに興味のある若者にとって影響が大きかったのが岡崎京子の存在だろう。
94年にストリート系ファッション誌「CUTiE」(宝島社)にて、『リバース・エッジ』を連載していた同じ時期に、彼女は「ぼくらはいったいどこへ行くのだろう」という展覧会を行った。村上隆、伊藤ガビン、椹木野衣など90年代東京のカルチャーシーンの重要人物が集結した渋谷のギャラリーP-House(※3)が、全面的にプロデュースし、「岡崎京子のマンガ」を「現代アート」へと彼女の望みを叶えた。今でこそ美術とマンガのコラボなんて珍しくもないが、当時はまだ新しかったのだ。ちなみにP-Houseではその他にもマンガ家では江口達也や井上三太らが展覧会を行っており、現在は場所を六本木に移し、06年には飴屋法水(美術)×大友良英(音)×椹木野衣(文)の「バ ング ント展」を開催している。
そうそうたる顔ぶれ。探してみよう有名人。P-HOUSE発行のコピー誌「TEXT-P」vol.3/94年7月15日発行より
90年代のサブカルチャーのことに思いを馳せるとこうしたジャンル以外、本業以外への活動が「カッコイイ!」とされた時代だったんだなあとぼんやりと思う。今ならもれなく、「器用貧乏」「何がしたいのか分からない」「本業頑張れよ」と揶揄されそうだ。しかし、私はこうも思うのだ。表現が行き詰まりを見せたとき、それ「以外」へと飛び出すことは、無駄ではない。そのメディアでしかできないことは何なのか。その「内部」にいては分からなかったことを、外側へと飛び出し、見つめ直すことが必要であると。新しい表現をただ無邪気に求め続けていけば、必ず限界が訪れるのだ。その昔、赤塚不二夫がギャグマンガの可能性を押し広げていった結果、テレビへと進出し、現実世界でも赤塚不二夫のキャラクターとしてタモリを発見したように。マンガ「以外」へと可能性を求めていくことは悪いことではない。全然、悪いことではないのだ、と。
■「ビックリハウス」が雑誌「以外」へと求めたもの
75年、「ビックリハウス」10月号の「目次」より
では、「GOMES」のルーツとして前回、取り上げた「ビックリハウス」ではマンガはどう描かれていたのだろうか。「ビックリハウス」流のマンガを特集した75年10月号では、イラストレーターのペーター佐藤(※4)が、湯村輝彦、絵本『100万回生きたねこ』の作者さのようこら6人がマンガに挑戦している。
内容は「ビックリハウス」らしく、パロディ、ナンセンス、ギャグなど。しかし、すでに赤塚不二夫によってギャグマンガという枠組みは破壊しつくされていた頃である。ここで目新しいのは、マンガ家「以外」がマンガに挑戦していることと、雑誌に「マンガ」を掲載したこと、少年誌では発表できない大人向けの下ネタが描かれていたことだろうか。
この黒光りしたものの正体は……? のちの「情熱のペンギンごはん」コンビ糸井重里と湯村輝彦による『熱血時代劇画 御用刃 番外ーびっくり屋敷編』/75年「ビックリハウス」10月号より
82年6月号からはBHハウサーからの投稿を募る「楽書漫画」なる4コマコンテストがはじまり、「ビックリハウス」にも、マンガ賞が設けられた。84年には「日本カートゥーン大賞」と発展することになる。ここで提唱された「カートゥーン」とは、単なる「マンガ」でもなく「イラスト」でもない、新しいヴィジュアルを表現したもの、教室の隅で、ノートにこっそり描いてる“絵のようなもの”とされている。
毒を抜いておしゃれにした蛭子能収?「第1回日本カートゥーン大賞」優秀賞を受賞した真由美太郎『グルタミン酸ナトリウム』/93年「ビックリハウス 驚愕大全」/初出:84年「ビックリハウス」9月号より
9月号では「第1回日本カートゥーン大賞」が発表され、「面白いと感じられるものは、日常的な視点により描かれているものが多く、“カートゥーン”本来の形式の自由に、深く踏み込んだ作品が見られなかったということは、残念であった。全体的に無難にまとまっていた」という選考結果を踏まえ、「“これからのマンガ”なるものを広く募集」とある。ちなみに第1回の大賞『サベツはいけない』の作者は現在、放送作家の鮫肌文殊。小説の公募だった第17回エンピツ賞とのW受賞で話題に。審査員にはCMディレクターの川崎徹、マンガ家の東海林さだお、ムーンライダーズの鈴木慶一などがいた。
不条理マンガだよなぁ……。/93年「ビックリハウス 驚愕大全」/初出:84年「ビックリハウス」9月号より
つまり、「ビックリハウス」では、マンガ家「以外」の描くマンガによって描かれる“絵のようなもの”を「カートゥーン」と呼び、それこそが「マンガ」の革新であると願った。一見、「GOMES」が良しとした「マンガ」に近いように感じるが、違う。「GOMES」では、あくまでも「マンガ」は「マンガ」のまま、メディアを越境していくことを良しとしたのだ。
すでに「マンガ」とは、単なるメディアの名称としてではなく、思想となった。いうなればこれが俺の生き様「マンガ道」!表現するメディアが美術だろうと音楽であろうとも、「マンガ」は「マンガ」で在り続け、マンガはマンガそれ「以外」で在ってはならないのだ。どんなマンガ「以外」と区別されるマンガも肯定されてしまう。故にマンガは何処までも“自由”になれる。なれるはずなのである。
参照:
※2 サブカルトリビアとしては、うつろは今や売れっ子批評家&音楽家の大谷能生が若き日に制作していた批評誌「エスプレッソ」でもマンガを発表していた。ある意味、現在の今日マチ子先生的ポジションか!?
※3 P-House公式サイト
※4 エアブラシやパステルを用いたリアルなタッチ持ち味。長らくミスタードーナツの商品パッケージのイラストを手がけていた。94年に逝去。
■マンガ家らしくないマンガ家、タナカカツキ
第1回で私はタナカカツキの経歴から、マンガ家らしくないと称しながら「マンガ家」であることにこだわるタナカカツキが何者であるのか答えを保留にしていたが、ここでやっと答えを見つけることができた。そして、彼がマンガ家である、と肯定することは「マンガ」の自由を約束する。
もう一度、問おう。一体、「マンガ」とは何なのか。
この禅問答のような問いへの答えは、マンガの可能性の数だけある。
天久聖一、タナカカツキ『バカドリルコミック』 06年「バカドリルXL」(扶桑社) より
【関連リンク】
タナカカツキ webDICEインタビュー(2008.12.5)
■ここでお知らせ!「マンガ漂流者(ドリフター)」が授業になった!
第3回「新しいマンガ ~異色デビュー方法と変なマンガ新人賞~」 10/26(月)20:00~@渋谷ブレインズ
■授業内容
聞こう!学ぼう!「マンガ漂流者(ドリフター)」。第3回の講義、テーマは「新しいマンガ」。
マンガ家のデビューといえば、雑誌への投稿やアシスタント経験からやっと雑誌に掲載されデビューする。これが正統なマンガ家のデビューの仕方です。
しかし、マンガ家になる方法はそれだけじゃない!いろんな抜け道があるのです!
「となりの801ちゃん」や「猫村さん」のようにウェブやブログなどマンガ雑誌以外やメディアからデビューしたり、かつては、エロ本からデビューした岡崎京子、桜沢エリカ、「ファンロード」出身のおかざき真里、ながい健、80年代の同人誌ブームから注目された尾崎南、CLAMP、高河ゆんといったトップスター、いきなり単行本を1冊描き下ろしてデビューした西島大介、タイから逆輸入され、個人制作のアニメから火がついたウィスット・ポンニミットなど、マンガ賞を受賞しないでデビューしたマンガ家は意外と多い。
そんな変り種ちゃっかりデビューのマンガ家、90年代雨後のタケノコのように創刊しまくっていたマンガ雑誌の変なマンガ新人賞の紹介から、面白い新人を誰よりも早く発掘する喜び、そして、「これまでにない新しさ」とは何なのかを探ります。
異色デビューのマンガ家たちがマンガ界を面白くしてきた!彼らの軽やかな奮闘の歴史から処世術を学ぼう!
■おまけ
懇親会ではマンガにまつわる酒がふるまわれます!
気になる人は早めに予約を!読者のみなさんと授業で会えることを楽しみにしています。
■ご予約はこちらから!
webDICEでの連載では、作家をメインにしていますが、授業では「マンガ」とは何か?そのものを問い、全体を俯瞰し、さらに気になる部分を掘り下げ、現状の確認、そしてこれからについて考えていきます。連載では一部の引用しか見ることができませんが、授業には資料をいろいろ持参していきますので、原典を手にとってもらえることもメリットでしょうか。もちろん授業や連載の内容で分からなかったこと気になることがあった人も安心!毎回、懇親会(※ 料金含む)にて、それぞれの個人的な疑問、質問にお答えしています。もちろん差し入れも大歓迎!マンガ好き集まれ~!
(文:吉田アミ)
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■吉田アミPROFILE
音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。8月24日より、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める。
・ブログ「日日ノ日キ」